「むださわぎ」MUCH ADO ABOUT NOTHING

シェイクスピア大全」新潮社

 

テーマは ユーモアとウィットの冷めた精神を貫きながらも幸福な結婚の糸口をつかむ男女の生き方。ベネディックとベアトリスの機知合戦と周囲の人々の計略に注目。

みどころ ウワサを信じてだまされる人間の愚かさ。アピアランスとリアリィ、外観と実体の間でゆらぐ人間の弱さ。仮面という小道具で象徴的に表現されている。

セリフ クローディオ「その見せかけだ、どうしても許せないのは」ドン・ジョンの計略にかかり婚約者の不実を責める台詞。

 

 

 

閑話 題名について

題名 MUCH ADO ABOUT NOTHING

題名がわかりにくい。私が手にとったのは MUCH ADO ABOUT NOTHING  というBBCのVTRであった。何と訳せばいいのか? 「MUCH ADD ABOUT NOTHING 」という劇だと思いしばらく見ていた。ドイツ観念論の論理学教科書からの誤訳 「無への過剰な追加」と思えたが シェイクスピアであるから 「恋の・・・」と和訳するのであろうか 恋の苦労のからまわり とか?

多少調べると・・

ado 訳せば 騒動 骨折り 面倒 

だが 空騒ぎ もどし英訳 fuss about nothing   あるいは tumult  または uproar 

ado はアディウとちょっとキザに発音し 外国を舞台の 貴賓の恋愛大騒ぎ かな。

ラテン語フランス語起源ではないようです。中世北方語の説もあり。

「まわし」かな との今日の見解なれど 「まわし 愛知岐阜のしたく」広辞苑

 

大山敏子訳「むださわぎ」 小田島雄志訳「から騒ぎ」

 

 

ウィキペディアによれば、

NotingとNothing

"Nothing"と"noting"の間には言葉遊びがある。シェイクスピアの時代にはこの二語は同音異義語で、似たような発音であった。文字通りにとると、Much Ado About Nothingというタイトルはたいしたことでもないようなことがら("nothing")について大きな騒ぎ("much ado")がもちあがるという意味で、このたいしたことでもないことがらというのは、ヒーローが不実だという無根拠な訴えや、ベネディックとベアトリスが互いに恋をしているというウソを指す。タイトルはMuch Ado About Notingとも解釈することができる。"Noting"のもとになる動詞"note"は多義的な言葉で、気付いたり、観察したり、注目したり、書き留めたりすることを意味し、ここから派生した意味合いもたくさんある。この芝居のアクションの大部分は他人への関心や批判で、メッセージを書いたり、スパイしたり、立ち聞きしたりすることなどから成り立っている。Nothingとnotingをひっかけた台詞は多数あり、とくに外観("seeming")、流儀("fashion")、外から見た印象などに関してこうした台詞が使われている。"Nothing"には二重の意味があり、"an O-thing" (あるいは"n othing"や"no thing")はエリザベス朝のスラング「ヴァギナ」 という意味があった。これはあきらかに、女性が足の間に持っているのは"nothing"(nothingを持っている=何も足の間に無い)ということにひっかけた表現である。

 

adoの語源は、中英語の「at do(~をする)」からきています。つまり、何かをすることを指していました。ラテン語やフランス語とは関係がありません。

adoの類語と使い分け
ado
何かをするための手続きや準備を含んだ騒動や忙しさを表す。例えば、大掃除にするにあたっての物品の準備や、人々が一箇所に集まってイベントを盛り上げるための用意等を指す。