シンベリン 禅と英文学

宗片(上田)邦義のシェイクスピア能公演の幕間のロビーで荒井良雄先生(シェイクスピア学者 百万人の英会話講師)と立ち話。「シェイクスピアシンベリンのSONGが好き・・」と申し上げたら、英文で楽しそうに ちょっと大きめの声で暗誦された。そこにシテの上田氏が挨拶にみえて、会話はとぎれ、話はそこまで。2008年11月13日成城大学3号館大会議室で荒井教授の最終講義。私信「やっと最終講義らしきものを成城大学でやります。英文学者としての仕事はひとまず終着駅です」。

最終講義なかば、「・・・はかない一生を生きている私たちが、毎日心にとめておかねばならないのは「シンベリン」のSONGではないでしょうか。これは禅の詩とよんでもいいでしょう。

恐るるな 夏の暑さも

吹きすさぶ冬の嵐も

汝いまこの世のつとめを

なし終えて家路につきぬ

尊きも卑しきも、みな

みまかれば塵と化すのみ

博学、シェイクスピア全作品を岩波シネサロンで朗読された荒井先生が最終講義で禅の詩として朗詠。

英文学に禅がある。最初に言ったのは、おそらくR.H.ブライス

R.H.Bryth ZEN in English Literature 1942 第28章 シェイクスピア

ブライス鈴木大拙の英文 禅 の著作に感銘をうけ来日。ブライスの3高弟(皇室のあの方、荒井、上田)の一人 荒井教授は英文学探索の終着点において この SONG をたたえている。ここで言う 禅 とは大拙の英文著作におけるZENで 大拙全集等の日本語版はゴミ。つまり世界にひろがる ZEN 。21世紀の言葉。

Yoshio Arai ZEN in ENGLISH CULTURE - Understanding Blyth Zen The Hokuseidou Press 2005 ISBN-590-01190-5

とにかく シンベリンの SONG は 禅のロゼッタストーン

イモージェンとかヤキモーと言って話している人達など見たこともありません。「シンベリン」も上演されません。しかし、戦前も戦後も同じ歩調で思想界を悠々と歩み去った鈴木大拙のZEN思想 革命前夜の厳しい政治宗教思想状況で楽し気に人間と社会を劇にして逮捕歴なしのシェイクスピアの思想 唐末の仏教大弾圧を生き延びた禅思想 その露頭である「シンベリン」を聴きながらゆっくり考えてみたいものです。