シェイクスピア劇 / キリスト教

キリス教とシェイクスピア劇 これを主題とした著書を何冊か持っている。私は大学院の修士課程の恩師がシェイクスピア学者であり、博士課程の恩師は聖書学であるから、シェイクスピア研究会に属した時期もあり、キリスト教文学会にも属していた。学友は「シェイクスピアキリスト教」というタイトルの本をプレゼントしてくれて、同じ本が2冊ありプレゼントとして保存している。研究には役立たなかった。中途半端な抽象度で両者が論じられており実り少ない。

シェイクスピア劇に影響しているのは 聖書からする最高の理念ではなく 当時のキリスト教の戒律・常識 と思われる。例えば、チェスをやっていて 圧倒的に優勢 敵は王様ひとコマで盤上を逃げ回るだけ よくあることではあるが 引き分け にもちこまれてしまう。自殺しかない状況を作ってしまうと勝ちにはならない。オフィーリアの死も自殺ではない という扱いが大問題。自殺なら天国には行けない。「ハムレット」冒頭の父ハムレット王の亡霊。ホレーシオをさけている。ホレーシオは神父格の人。60歳くらいか、城壁の若い兵士から椅子をすすめられる。亡霊はハムレットとだけの会話を望む。ホレーシオの前で言えないことがある。嘘混じり。帰ってきての顔色の質問。「青ざめた土色か 赤か」青ざめていれば地獄から来た亡霊、赤ければ炎で罪が清められる煉獄から。青かった。地獄から。大罪の人。戦争で人を殺すぐらいは大罪ではない、というのが当時の常識戒律。ポローニアスを殺すと、父ハムレット王の亡霊がガートルードの寝室に現れる。ポローニアスの地獄直行が判明、即刻父ハムレット王に報告したことが 当時の聴衆にはわかったはず、キリスト教常識戒律。ポローニアスも大罪の人とわかる。カーテンの陰の盗み聞きではない罪があると考えざるをえない。