シェイクスピアの「アテネのタイモン」をBBC制作のVTRで見た。
美食の宴会のシーンなど見事。懐石料理(壺に石)など絵として見ることができたのはうれしい。しかし、作品全体としてはスッキリしない。日本での公演、埼玉や大阪の公演の記録を見ると「名作」「感動した」など絶賛の言葉が並ぶが、そうは思えない。
良い一節はいくつかある。
現代社会、資本主義社会で資本(大金)は何をもたらすのか。
人間性の変貌。
シェイクスピアの この劇での実験
大金で人々の頬を札束ではるタイモン
カネを失い 着物を投げ捨て 森にはいるタイモン。そこで清らかな生活を得る。
無一物のタイモンは金を掘り当てる。マルクスが引用したのはその場のセリフ。
シェイクスピア「アテネのタイモン」ではスッキリしないが、マルクス「資本論」の資本の社会への影響の記述はスッキリしている。しかし、シェイクスピアの作品は17世紀初頭のもの。資本主義社会の入口ですでにその本質を憂慮。正確に見つめ描き出しているから19世紀後半のマルクスが引用したのであろう。
資本制社会の人間性の変貌はヘーゲルの疎外論から初期マルクスの疎外論、晩年の「資本論」では社会全体の構造が解明される。
古代ギリシア・ローマの演劇に並ぶ演劇を創作しようとしたシェイクスピア劇の枠組みに、資本主義社会の資本のもたらす疎外は スッキリおさまらなかった と今日は考えてみた。
この作品以降 シェイクスピアの作風はロマンス劇へと変化してゆく。社会に鏡をたてかける、としていた演劇観からメルヘンのような夢舞台へ。