「ペリクリーズ」 坪内逍遥は剣舞を見落としている

BBC制作 David Fones 監督の「ペリクリーズ」 第一幕第二幕がていねいに作ってあります。第一幕第二幕はシェイクスピアの作ではなく、ジョージ・ウィルキンス作。音楽や舞は古風に。

第二幕 最初の踊りは剣舞

第二の舞は男女で。王の娘とペリクレスも踊ります。王の隣席(娘の席)は空いて、中央で踊るのがペリクレスと王の娘。

ところが、坪内逍遥訳では、第一の舞

「奏楽。武士らと貴婦人らと相抱いて舞踏する。王女とペリクリーズは席をはなれない。」

第二の舞

「又奏楽。ペリクリーズは王に促されて起ちセーイザの手をとって、真っ先に音頭をとって舞踏をはじめる。他の武士らもまた起って、他の婦人らの手を取り合って踊る。」

原文では 第一の舞 [ The Knights dance.

第2の舞 [ The Knights and Ladies dance. Unclasp; unclaspe:

原文の指示は dance だけだから 何を踊るかは演出の自由か?

しかし 直前の王のセリフは騎士たちの武装姿を語っており「相抱いて」という逍遥の訳は疑問。 二番目の舞の指示 unclaspe は 拘束ゆるく 固く抱きしめない であろうから BBC写真2枚目の 距離をとった男女の舞姿が指示通りであろう。

 

わたしは坪内逍遥訳にこだわるわけではないが、新潮社から「シェイクスピア大全 CD-ROM版」を買ったときに、全集の全集ですべての訳が含まれていたため、それまでのシェイクスピア本を全部捨てた。ところがWindowsが古くなり 今のパソコンでは読めなくなったため、一冊でシェイクスピア全戯曲を収めた坪内逍遥訳本のみ手元にあり、参照している。

 

さて 本題。「ペリクリーズ」

王は娘を妻にしている などの話 わたしの趣味の劇ではない、などととまどう。それを知ったペリクリーズは逃亡の旅へ。そんな大問題か?

ベン・ジョンソンは「ペリクリーズ」を mouldy tale  かび臭い 陳腐 時代遅れ としている。

ところが 17世紀には大人気。清教徒革命で演劇が禁止され、王政復古で演劇が解禁になった時、最初に上演されたのが「ペリクリーズ」で、延長再演だったという。その後ぱったり上演されなくなる。

英国がローマカトリックから離脱し、プロテスタントになったのは、ヘンリー8世が離婚したかったから。その妻 アン・ブリンはヘンリー8世の娘であったカトリックだった最初の妻を毒殺したのはアン・ブリンである。これは当時ラテン語で出版された書物に書かれ、弾圧されていたカトリックの間では流布、20世紀になって、内容は事実という解説をそえて英訳された。

「ペリクリーズ」は英国動乱・市民革命の時代の端緒となるヘンリー8世の行状の告発劇であったから注目を集めた作品といえようか。

 

ハムレット」でも 王の悪行を暗示する劇の上演がある。劇ぐらい、そんな大事か、と思うのだが シェイクスピアの時代の演劇の社会的機能は大きかったとすべきであろうか。

 

「アテネのタイモン」と マルクス「資本論」

シェイクスピアの「アテネのタイモン」をBBC制作のVTRで見た。

美食の宴会のシーンなど見事。懐石料理(壺に石)など絵として見ることができたのはうれしい。しかし、作品全体としてはスッキリしない。日本での公演、埼玉や大阪の公演の記録を見ると「名作」「感動した」など絶賛の言葉が並ぶが、そうは思えない。

良い一節はいくつかある。

マルクス資本論」にも引用されている。

向坂逸郎訳「資本論岩波書店

〇印の注(91)がシェイクスピアアテネのタイモン」からの引用

〈金か! 黄金色にきらきら輝く貴重な金貨だな!

……これだけの金があれば、黒を白に、醜を美に、

邪を正に、卑賤を高貴に、老いを若きに、

臆病を勇気に変えることもできよう。

……神々よ、どういうことだ、これは? どうしてこれを?

これはあなたがたのそばから神官や信者たちを引き離し、

まだ大丈夫という病人の頭から枕を引きはがす代物だ。

この黄金色の奴隷めは、信仰の問題でも

人々を結合させたり離反させたりし、

呪われたやつらを祝福し、白癩(びゃくらい)病みを崇拝させ、

盗賊を立身させて、元老院議員なみの爵位や権威や栄誉を与えるやつなのだ。

枯れしぼんだ古後家を再婚させるのもこいつだ、

……やい、罰当たりな土くれめ、

……売女(ばいた)め」

シェイクスピアアテネのタイモン』(第四幕、第三場。小田島雄志訳、『シェイクスピア全集』Ⅴ、

現代社会、資本主義社会で資本(大金)は何をもたらすのか。

人間性の変貌。

シェイクスピアの この劇での実験

大金で人々の頬を札束ではるタイモン

カネを失い 着物を投げ捨て 森にはいるタイモン。そこで清らかな生活を得る。

無一物のタイモンは金を掘り当てる。マルクスが引用したのはその場のセリフ。

シェイクスピアアテネのタイモン」ではスッキリしないが、マルクス資本論」の資本の社会への影響の記述はスッキリしている。しかし、シェイクスピアの作品は17世紀初頭のもの。資本主義社会の入口ですでにその本質を憂慮。正確に見つめ描き出しているから19世紀後半のマルクスが引用したのであろう。

資本制社会の人間性の変貌はヘーゲル疎外論から初期マルクス疎外論、晩年の「資本論」では社会全体の構造が解明される。

古代ギリシア・ローマの演劇に並ぶ演劇を創作しようとしたシェイクスピア劇の枠組みに、資本主義社会の資本のもたらす疎外は スッキリおさまらなかった と今日は考えてみた。

この作品以降 シェイクスピアの作風はロマンス劇へと変化してゆく。社会に鏡をたてかける、としていた演劇観からメルヘンのような夢舞台へ。

 

ヴェニスの商人 手塚治虫 1959年作品

手塚治虫ベニスの商人

ただただオモシロく楽しむなら 手塚マンガで。

反ユダヤ主義 どうとらえるか?

ユダヤシャイロックを心のどこで受け容れるのか?

Hath not a Jew eyes?

青線 Hath not a Jew eyes?

裁判の場面 大岡裁き 公正で人情味あり過ぎ でオモシロイのだが・・・。

イエリネック「権利のための闘争」によれば、

公序良俗違反で この契約は無効。

シェイクスピアの裁判は 最初シャイロックの権利を認め その後権利をくつがえし、法制度を破壊の判決に至る。

 

ユダヤシャイロックへの判決は あっさり全財産没収 キリスト教への改宗を命令。

 

これは 第二次世界大戦時の在米日系人の扱いに酷似する。

日頃 人権を重んずる英米人が あっさり日系人の財産は没収。

 

上掲のシャイロックの言葉(坪内逍遥訳)は 差別される日系人が口にしても そのまま違和感はない。

 

シェイクスピア反ユダヤ主義か? とか 反ユダヤ主義を煽るから上演禁止とかの議論があるが、

シェイクスピアは「社会を鏡に映した」と言っている。

 

「リベンジ!」

この作品を シャイロックに焦点をあて 復讐劇として見ようとするのは如何なものでしょうか。

この作品は 当時 恋の夢舞台 喜劇として作られ 鑑賞されていたと 私は考えます。

歌があり 恋があり

金の箱 銀の箱 鉛の箱 結婚の相手選び 竹取物語

美男美女 指輪  の夢物語

 

ジューリアス・シーザー 現代劇

3月15日が近づき、BBC制作の「ジューリアス・シーザー」を見た。ブルータス役の俳優に生気が乏しく、衣装が貧弱、場面展開退屈、ボソボソ小声で話しているだけ。くだくだしい。カットした方がいいが、本当にもりあげるには4時間(トゥリー上演の事例)、数億の製作費が必要か。

 

しかし、シェイクスピアのこの作品には多様な魅力がある。

楽しみ方として、イギリスでは学校演劇。大勢に役がふれる。元老院議員役とか、シーザーの弔い合戦のローマ兵とか気分がいい。学園生活の良い思い出。ローマ史の勉強の核心部たりうる。「平和 解放 自由」のスローガンで暗殺が起こる。陰謀と扇動。現代の政治状況にも通じ、考えさせられるセリフが続く。

冷静に理性に訴えるブルータス それに続くアントニーの演説は激しく群衆の感情にうったえる。スピーチの教科書

台詞

「臆病者は死ぬ思いを重ねた上でやっと死ぬが、勇者が死を味わうのはただ一度だけだ。」2幕2場32~

ただ、BBC版では シーザーもブルータスも同じ この言葉の雰囲気で死を迎え、なぜか興ざめ。名言の平板な受け取り、常套化はツマラナイ。それぞれに個性ありたし。

 

私には興味津々なセリフ

5幕1場

ブルータス「正しい言葉はよこしまな手にまさりますぞ」

Good words are better than bad strokes.

アントニー「君は正しげな言葉を口にしながらよこしまな手をくだした男だ。シーザーの胸部を突きながら、君は「シーザー万歳」と叫んだ男だ」

In your bad strokes, Brutus, you give good words. Within the hole you made in Caesar's heart, Crying 'long live! hail Caesar!'

 

独立戦争前後のアメリカでこの劇は好評だったという。

先行き不透明 権力を倒した後の混乱 多数派工作と名演説。

 

ヒットラーの演説はアントニー系。

In your bad strokes(南京虐殺),東条首相, you give good words(八紘一宇). 

プーチンとゼレンスキーの演説競争も想起される。

現代劇として色褪せない作品。

1955年の映画「十二夜」 

1955年のソ連映画十二夜」 監督 Yakow Fried  Я. Фрид

YouTubeで ていねいに 壮大に作られた全編を無料視聴できます。

原文と比較して 短く直線的な表現。人民映画 かな。

乙女 ヴァイオラのセリフ я хочу ヤ― ハチュー I want to ・・ 

 

シェイクスピア映画は無声映画の時代からあり、最初の「十二夜」はアメリカでの制作。BBCでもTV番組として数本。

ソ連制作のこの作品はその時代の風潮か 明るく元気 希望に満ちている。

ロシア語ですが わかりやすい表現。多分ソ連圏内のロシア語に堪能でない諸民族も

意識していると思われる。そして、働く人民にわかりやすく というのが方針だったでろう。言葉だけでなく 見ればわかるつくり。

冒頭の嵐の場面

難破して

ヴァイオラと船長 

イリリア国 

上陸

美女ヴァイオラは男にからまれる。

オーシーノ―従者を従えて登場 

オリヴィアの館へ オリヴィア 窓をピシャとしめ拒絶

ヴァイオラと船長 いいわね オーシーノ―侯爵ですよ

ヴァイオラ 男装して

男装してオーシーノ―家の従者となる

楽器を持って 

 

音楽を大事にするのもこの戯曲にふさわしい。

音楽が恋の糧であるなら、続けてくれ。

食傷するまで聴けば、さすがの恋も飽きがきて、

その食欲も病み衰え、やがては消えるかもしれぬ」1幕1場1-3行

この映画は最初のタイトルシーンから歌声が流れている。

ロシア語で 

By when  I came, alas ! to wive,

With hey, ho &c.

気になるのは

エリザベス朝演劇では少年俳優が演じていたヴァイオラ。男装によって生じるヴァイオラの繊細な心理、とかが見どころ。 この映画ではヴァイオラを演じたのは・・

ビオラ役 A. ルツィカさん 多分レニングラード演劇界の名女優さん。

豊満で成熟した大女優 過剰なものが気になるのです。

「恋とはなんだ、明日のことじゃない。今日のうちに陽気に笑え。先のことはわからない。待てば来るとは限らない。だからキスだ、若い人。青春とははかないものさ」2幕3場48~53行

ヴァイオラ役は美少年 またはボーイッシュな少女が演ずるとしっくり。

 



 

1952年の映画「オセロ」 1952 movie "Othello"

英語能「オセロー」台本

I

I saw the 1952 movie "Othello" starring and directed by Orson Welles.

The image is bright and clear. The location is Morocco. The screen shows the excitement of the heyday of movies and the excitement of the past.

Silent movies are the most interesting. German film from 1922. Directed by Dmitri Buchowetzki. I have never seen this before.

Verdi's opera is recommended. Vivid impression. Othello is tenor and Iago is baritone, dramatic!(^^)!

When tracing the text, it is interesting that  Desdemona's defense of love, and Iago's wife Emilia's charge to truth in exchange for death.

However, after reading it, there is an afterimage of a cheap jealousy drama, and there is a slight sense of disappointment. Since it is a love that transcends racial barriers, I want something definite about Desdemona. half written

1952年の映画「オセロ」 オーソン・ウェルズ主演・監督をみました。

映像は明暗くっきり。ロケ地がモロッコ。画面に映画全盛期、往時の盛り上がりあり。

一番おもしろいとされているのはサイレント映画。1922年のドイツ映画。Dmitri Buchowetzki 監督。これは見たことがありません。

おススメはベルディのオペラ。あざやかな印象。オセロがテノールでイアゴーがバリトン、ドラマチック!(^^)!

文章をたどる時は 始まりのデズデモーナの父への愛の弁明、ラストのイアゴー妻 エミーリアの死を賭した告発 がイイナ。

ただ読後感が 安い嫉妬劇 の残像があり 若干の失望感あり。人種の壁を越えた愛なのであるから、デズデモーナの確たるひとことがほしい。  書きかけ

 

 

 

ギールグドの「ハムレット」 1951年のラジオ番組

伝説的ハムレット俳優 ジョン・ギールグッド 

Jonhn Gielgud  

私が聴いたのは

1951年3月4日 NBC放送(アメリカ)

CD で。(ネット検索で入手容易のはず)

JOHN  GIELGUD HAMURET   ISBN 1 899644 8 6

PAVILION RECORD LTD       Made in England

 

とても聞きやすく わかりやすいのでびっくりした。

ラジオ番組で NBCアメリカの三大ネットワーク。シェイクスピアを知らない米国大衆を意識して制作。それでわかりやすい。1951年はまだテレビのない時代でラジオ番組の全盛期。主婦が炊事しながらラジオにかじりつく とかの時代。ギールグッドも40歳ちょっで 90歳まで活躍した人ではあるが いい声。

全編74分(ハムレットは3時間半が常識)。簡潔。短いがかえって要点がくっきり。

ふつうの部分は早口で 臨場感。 ポイントになるセリフはゆっくり聞かせている。

ハムレットの独白 絶品。たっぷり。

恋人オフィーリアの父への返答「お父様に従います」ハムレット包囲網に参加表明)ゆっくり はっきり。捨てられ 狂乱 水死 への別れ道の言葉

ハムレット父王の亡霊 復讐せよ は7分とって 殺害である 忘れるな を繰り返す。

シェイクスピア英語のリスニング タイヘンと思うかもしれないが 

Remember me.  とか 英語ってこう話すんだ とか わかって快感。

 

ハムレット」2幕2場 第二独白の前

"We'll hear a play tomorrow."   ハムレットのせりふであるが シェイクスピア劇は「観る」のではなく「聴く」ものであるから 聴く形でシェイクスピアを鑑賞するのは王道といえる。

 

聴きどころは・・  詩の響き

一幕四場63行

父王の亡霊がどうしても口をきかない   ハムレットは自分の方からついて行こうとする

まわりがワッと止めて ハムレット

It will not speak; then I will follow it. 

 弱にも三段階あり

It will not speak; then I will follow it.

 

「生か死か」の独白の途中   詩韻がひとつ欠けている。

must give us pause Meditation.  There's the respect

心理的ポーズ 瞑想 がくっきり。

 

ギールグッド 1904-2000  活動期間 1921-1999

歴史劇が緻密で重厚と評価されるが、私はシェイクスピアの精緻な理解とともに創造的な意志がすばらしいと思います。